<第0424号 2008年9月28日(日)> うろこ雲 うろこ雲の ふわふわの ひとかけらを うろこ雲の おかあさんの よそみしたすきに ひょいとつまんで ぽんといれた くちに ほら もうどんなことばを 話したとしても ここは ため息までも 秋の国 * 挿一輪 * みごとなうろこ雲をずっと見上げていました。 ずっとずっと見上げていたので、 気がついたときには首も肩もカチカチ。 それほど飽きないものが頭の上にあったなんて、 気がつかないことはまったく損ですね。 うろこ雲のうろこのひとつひとつを見ていると、 妙に鳥肌が立ってくることがあります。 あの綿のような質感と、 めまいを覚えるほどの高い空との対比。 手をのばして触れたとたん、 なにか禁断のじゅもんがかかって、 自分のかたちが変わってしまうのかもしれない、 そんな気持ちになります。 ましてひとくちほおばったら、 どんなことになるのでしょうか。 秋の国のまんなかで、 そんなことを想像してみるのも楽しいかもしれません。 さりげない秋の一日が、 そのまま童話になって、 すてきなひと時をあなたにもたらしてくれますように。 <第0423号 2008年9月21日(日)> 逃げる 逃げる 空高く逃げる 青い青い成層圏を越えて 宇宙まで逃げる 逃げる 海深く逃げる 光を背中で捨てながら 深海まで逃げる 逃げたら ほっとするのだろうか 真っ暗な無音の世界で やすらぎを 感じるのだろうか 逃げる 体の奥に逃げる 閉ざされた五感を超えて 行き着くとこまで逃げる 逃げる ずっとずっと逃げる いつからだろうか 生まれたときは 違ったのに いつまでだろうか 異世界までも 逃げるのだろうか * 挿一輪 * 逃げはじめると、きりがありません。 最初は軽い気持ちでも、 逃げる気持ちがいつのまにか癖になり、 前を向くことが面倒になったり怖くなったりします。 言い訳をさがすようになり、 面と向かうよりも逃げ道をさがします。 小さなほころびが大きく広がり、 その場しのぎの楽をしたつもりが、 苦しみのスパイラルにおちいってしまいます。 逃げることが決していけないわけではありません。 不利な場面で一時的に引いて、 体制を立て直すことがあります。 でもそれは、 後ろ向きに逃げてはいません。 前を見ながら次の手段を考えています。 姿勢そのものが前向きだからです。 一瞬引いても、前を見つめて気持ちは逃げない。 それは人間の基本が生きることだからです。 「いのち」の基本が生きることだから、 といってもかまいません。 「いのち」としてうまれたとき、 後ろ向きに出てきた人はいないと思います。 逃げることなく踏みとどまって、 少しでも押し返すように前を見てください。 きっとからだのなかから、 知恵と力がわきあがってきて、 今をしっかりと捉えることができるはずですから。 <第0422号 2008年9月14日(日)> 鳥の樹 こうして 空のまんなかで 鳥たちが 一本の樹になって 立つ 地下から 汲み上げられた 空からの記憶 水 導管は葉脈になり そのまま羽の 透きとおる羽の 血液になり 風が呼ぶと 南からの 北からの 季節を変える風が呼ぶと 鳴きだした声 始まった羽ばたき 樹は一斉に空をめざし 気がつけば わたしのからだまでも そのまま一本の樹 生まれる前の 鳥の記憶 * 挿一輪 * 季節の変わり目には風が変わります。 風の向きや強さ、湿度や匂い、 そして肌ざわりまで。 その風に触れることで、 からだのなかの感覚が呼び覚まされ、 眠っていた記憶が顔を出します。 家からすこし離れた私鉄の駅前に、一本の樹があります。 ごく普通の街路樹なのですが、 いつも鳥の声で満ちあふれています。 その一本の樹だけ鳥の巣が集中しているのでしょうか、 まるで樹そのものが鳥のように、 ざわざわと動いています。 鳥たちが一斉に飛び立つと、 その樹が空に飛び立つような錯覚を起こさせます。 もしかしたら根が抜けて「ラピュタ」のように、 空高く舞い上がるかもしれませんね。 空から降った雨が大地に染み込み、 地下水を樹が汲み上げて空に帰す、 一連のサイクル。 いのちの営みそのもののような循環は、 自分自身の生まれる前の記憶が、 ふとよみがえるような、 そんな気持ちにもしてくれます。 なにもないところに風が吹いても、 なにもおこりません。 風が吹いて呼び起こされるのは、 そこになにかが眠っているからです。 忘れられたものは失ったものではありません。 かならずそこに隠れています。 風が吹いてきて呼び起こされる感覚を、 大切にしてください。 それはそのまま、 なにもないと失意に沈むときでさえ、 自分自身を呼び起こすための風になるのですから。 <第0421号 2008年9月7日(日)> たわむれ さしのべる 手を ふれそうで ふれない 距離は すぎる季節の背中を ゆらめきは 伏し目がちのおとずれを これほどまでに やわらかな 鉱石 チョウの羽は 音の眠る風のなかで 感じたい だから すれ違うのではなく 厭うのではなく そのままの 呼吸で あるがままの それぞれを うけいれる たわむれる * 挿一輪 * 目の前にふと、チョウがひらひらと。 あなたならどうしますか。 反射的によけますか。 立ち止まってじっと見ますか。 つかまえようと追いかけますか。 目で追いながら通り過ぎますか。 まるっきり気にしませんか。 先日ふと目にしたその人は、 ゆっくりと歩きながら自然に広げた腕を伸ばし、 そっと下からチョウのからだをささえるかのように、 てのひらを空に向けました。 まるでチョウと戯れるかのように、 チョウもその人と戯れるかのように、 出会いお互いを見送ってゆきました。 何の違和感もなく、 チョウと人間という種別を超えて、 まるで器を取り払った「たましい」と「たましい」の、 ほほえましい交感のように思い、 不思議にやさしくあたたかな気持ちになりました。 しばらくのあいだ、 チョウとすれ違う、他の人たちの反応を見ていたのですが、 よけるように手を振ったり、 まるで関心がなく通り過ぎたり、 さきほどのような反応を見ることは、二度とありませんでした。 どんなものとでも、 ふれあいの機会のときのこころの持ち方で、 こんなにも行動が違ってくるのかとあらためて感じました。 あなたがもし、 今度チョウに出会ったならどんな行動をとるのでしょうか。 できるならば、 出会ったチョウと自然に戯れることができる、 そんな気持ちをいつでも、もっていたいものですね。 |
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