2010年7月のこびん

戻る


<第0519号 2010年7月25日(日)>

       夕陽

         家の屋根も
         錆びた自転車も
         埃だらけのたんぽぽも
         小さな石も
         それを蹴飛ばした靴も
         擦り寄ってくる猫も
         首を振る鳩も
         しゃがむ風も
         伸び上がって
         教えあって
         夕陽のてっぺんを
         じっと見ている
         
         ああ
         もう
         ほら
         声も
         声にならない音も
         忘れられた哀しみも
         ゆるりと
         ゆるりと
         最後の
         山の端に
         雲のふちに
         ひとつになって
         
         生まれるように
         消えた


   * 挿一輪 *

 夕陽が沈むのをじっと見ることがありますか。
 ただもうじっと、それこそぽかんと口を開けて、
 その場にいる草や鳥や風たちとさえ、
 並んで一緒に見ることがありますか。
 
 山の端でも、雲の縁でも、水平線でもしっかりと最後まで、
 もういちばんてっぺんの、小さな残照が隠れるまで、
 何もかも忘れて見ることがありますか。
 
 その瞬間、今日一日の悲しいこと辛いこと、さまざまな思いが、
 ぽんと音を立てて昇華されるのかもしれません。
 夕陽は一緒にすべてを連れて行って、
 また新しい空間をあなたのなかに作ってくれるのかもしれませんね。


<第0518号 2010年7月18日(日)>

       ねこ

         まっすぐに
         見つめると
         いまのおまえの顔になる
         
         ただじっと
         見つめると
         いまのおまえの目になる
         
         なにが欲しいわけでもなく
         なにを非難することもなく
         
         ただ目の前の
         いまに
         対峙している
         
         生まれてから此の方
         生きているあいだに
         本能と短い経験から
         
         これが
         いちばん
         自分そのものだと
         知っている
         
         だから
         ふと
         思わず
         おまえに向かって
         一歩寄ってしまうのだよ


   * 挿一輪 *

 ねこがまっすぐに見ています。
 視線の先には私がいます。
 適当な距離をおいて、一匹と一人が静かに向き合っています。
 
 顔見知りでも、特別な場所でもありません。
 歩いていてふと立ち止まり路地を見ると一匹のねこ。
 逃げる様子もなく姿勢良く座ってこちらを見ています。
 
 何かを思っている風でもなく、
 といってぼーっとしているわけではなく、
 きりっとしながらも、まわりの風景に溶け込んでいます。
 
 こういうねこは大好きです。
 そのままじっとこちらも見ていたいのですが、
 いつも根負けして一歩近づいてしまいます。
 
 その瞬間、大抵ねこに逃げられますが、
 不思議にしんとした透明な気持ちになっています。
 確かにねこは好きなのですが、
 独特の雰囲気にはいのちの懸命さがあるように思います。
 
 癒されるのとはまた違った、
 まるで知らない街角の小さな画廊の飾られている絵に、
 思わず立ち止まって見入ってしまう、
 そんな心持ちがいちばん近いのでしょうか。
 
 気になってふと立ち止まる。
 日常の一場面のなかで、ねこのいる風景は
 しばらくのあいだ見ていたい、一枚の絵のような気がします。


<第0517号 2010年7月11日(日)>

       驟雨

         雨の音しか聞こえない
         たたかれる音しか聞こえない
         
         真っ黒な空が
         ふわっと明るくなった時
         こころのすきを見透かすように
         残った雨がすべて来る
         
         これがいまのあなた自身の
         たたかれる音だと
         正真正銘生きている音だと
         忘れないように聞いておけと
         
         立ちすくんだ足元の
         大きな大きな水溜りに
         これでもか
         これでもかと
         突き刺して
         
         たたかれる音しか聞こえない
         雨の音しか聞こえない


   * 挿一輪 *

 梅雨も終わりごろになると、前も見えないほどの雨が降ります。
 まわりの景色も雨でかすみ、足元には水溜りしかみえず、
 まるで雨の真ん中に、たったひとりで取り残されたかのような不安です。
 
 ましてここ数年、ゲリラ豪雨と名付けられるほどの雨に遭遇すると、
 しばらくの間は雨の音以外なにも聞こえなくなります。
 
 どこかで雷の音がしているなと思ってから、
 空が真っ黒になり雨が降り始めるのはあっという間です。
 それにしてもやっと空が明るくなり、やれやれと思い始めてから、
 こころの隙を見透かすように降る最後の雨はとても激しいです。
 
 まるで雨に叱咤激励されるようで、身の引き締まる思いというのか、
 でもやはり、激しい驟雨は身の縮まるような怖さがあります。
 
 自然のなかを、のほほんと歩いていられるのは、文明のおかげですが、
 まだまだ、人間の儚いいのちではかなわないもので満ちている世界、
 謙虚に毎日を生きていかなければなりませんね。


<第0516号 2010年7月4日(日)>

       駐車場08番

         駐車場の08番は
         前の冬から
         ずっとあいたまま
         
         久しぶりに
         通ってみたら
         ほらほら
         やっと契約できたみたい
         
         ひとつふたつみっつよっつ
         十個以上の紫色の
         大きなライトをつけっぱなしの
         こんもりまあるい
         紫陽花ワゴン
         
         きっと真っ青一面の
         夏の風が吹き抜けるまで
         2ヶ月あまりの
         短期契約


   * 挿一輪 *

 近所の駐車場は「空」ばかりです。
 借りる人がいないのか、妙に見上げる「空」が広々としています。
 舗装しているところは別にしても、
 砂利をひいたものや、土のままの駐車場は、
 端から、雑草やら植え込みやらの侵食を受け放題になっています。
 
 そんなわけで意外とおもしろいのです、「空」の駐車場ウォッチングは。
 しばらく契約が見込まれないのなら、いっそ、というわけで、
 花や樹やネコやスズメや蝶やたんぽぽや日差しや水たまりが、
 ちゃっかりと契約なしで借りています。
 
 元はきっと、野菜の実った畑だったり、子どもが走り回る草原だったり、
 気持ちよく風とおしゃべりできた「空」の一部だったのでしょうから、
 どうぞどうぞ、と、心地よく通りすがりの私は大歓迎です。
 
 人間って不思議ですね。
 もっとこころやからだが、やさしく気持ちのいいものに包まれて入れば、
 ゆったりとやわらかなままで、この空の下、生きていけるのに・・・。



このページのトップに戻る

Copyright© 2010 Kokoro no Kobin