<第0576号 2011年8月28日(日)> 雲の音符 連音符 コスモスの花の てのひらで はこばれて はこばれて おりからの風に わたされて わたされて はるか空たかく 青い譜面に 白い雲 * 挿一輪 * 初めての街の知らない道を歩いていると、 自分が異邦人になったように不安になります。 あらかじめ下調べをしていても、 見知らぬ街はどこかよそよそしい顔を見せます。 そういう時は、 立ち止まって空を見上げるようにしています。 どこから見上げても、そこにはいつも見慣れた空があり、 見慣れた雲と出会って、ほっとするからです。 雲の形は様々ですが、 動物や人の顔に似ていることが多く、 また海の湾を思わせるものや、音符に似ていることもあります。 ことばにならない想いが手渡され風に乗って空に昇り、 そのまま雲の形になったのでしょうか。 そう思って見上げていると、ふと楽しくなって、 知らない街も、 気がつくと懐かしい音が聞こえてくるので不思議ですね。 <第0575号 2011年8月21日(日)> せみしぐれ 休符のように せみしぐれが とまった 重すぎた紙袋の底が ふいに抜けたように せみしぐれが とまった まだだれも気がついていない ぽっかりとあいた 透明なメッシュに なにを詰めよう いつ消えるかわからない 危ういかげろうの立つ 夏のひとときに なにを詰めよう それよりも そのまま そばにたたずんで そのときまでを楽しんで 楽章はふいに始まる とどまることのない 数え切れない羽が生み出す 連音符 * 挿一輪 * 夏の音といえばせみしぐれが思い浮かびます。 大きな木の下に立つと、 ほんとうに激しい雨のように蝉の鳴き声が降ってきます。 激しいせみしぐれの鳴き声はふと止みます。 鳴き始めはすぐに気がつくのですが、 泣き止んだ静寂には少したってから気がつきます。 音楽の休符の部分は、連続する音の部分と異なり、 不思議な空間を与えてくれるのでしょう。 だれも気がつかないようなその静かな時間を、 夏のひとときの宝物のように感じることがあります。 でも、つかの間の休息が終わると、 前よりいっそう激しいせみしぐれが始まります。 いのちいっぱいに歌っている、 夏のせみの大合唱は、そう教えてくれているようですね。 <第0574号 2011年8月14日(日)> 子守唄 子守唄 唄ってあげよか ころころと 水面にころがる 光の粒のように 子守唄 唄ってあげよか 数字の8の ひねって戻った くびれのように 子守唄 唄ってあげよか つぶった目の裏 だいだいいろの 休符のように * 挿一輪 * 子どものころの子守唄、覚えていますか。 お母さんやおばあちゃんの、背中で聞きながら、 または、布団で添い寝をしてもらいながら、 低く静かに流れた子守唄。 優しく単調なリズムが、 いつのまにかまぶたを重くして、 夢うつつの世界に導かれた遠い思い出。 ずっと忘れていても、 流れてくる聞き覚えのある唄に、 ふと鮮やかに、 懐かしい場面が浮かんでくることもあります。 唄だけではなく、風の音や蝉時雨、やわらかな光までも、 まるで伴奏をするように重なって、 子守唄の一部になっています。。 子守唄は、大人のなっても忘れることのない、 ふるさとの背中なのかもしれませんね。 <第0573号 2011年8月7日(日)> 帰還 風 てのひらの 深いしわの 奥の汗まで 風 ひとみの あふれたあとの 奥の涙まで すくうように 吸うように 慈しむように うなづくように あの空のなかに 降りしきった 雨の帰還のように 放して 溶かす 昼は紺碧 夜は群青 忘れられない 子守唄 * 挿一輪 * 夏の雨は容赦ありません。 雷雨ともなると滝のように水が降り注ぎます。 大地に降り立った水は流され吸収され、またいつか空に帰ってゆきます。 人も水でできています。 体内の水の流れで生きています、血液も、リンパも、汗も、涙も。 この水は空から来たのでしょうか。 空から来て、しばらくとどまり、 やがて雨と同じように、大地から空に帰ってゆくのでしょうか。 もしそうなら、帰るときの先導はだれがするのでしょうか。 きっと風だと思います。 風につれられて空に帰り、小さな雲になって雨になるのでしょうか。 風の音を聞くと懐かしくて仕方がないときがあります。 子守唄のような風の音。 幼いときの母の子守唄に、通じるものがあるのかもしれませんね。 |
|||
Copyright© 2011 Kokoro no Kobin