<第0602号 2012年2月26日(日)> 雨 あがる すくってごらん さしだした掌に こんなにもくっきりと 再びの陽が満ちてきて ふり返って思い出す あのときのこと こんなにもくっきりと 雨の指紋が覚えていて 慈しむように愛でる 決して染みこまないひかりを 沈黙に縁どられた水滴を 埋めこまれたことば 光と影を合わせ見る二枚鏡 雨 あがる * 挿一輪 * 久しぶりの本降りの雨があがり街を包むように陽がのびてきました。 道路も家々もつかむことのできない空気までもが、 しっとりと濡れそぼったままでまぶしい光を受け入れています。 不思議なことに、雨あがりの陽光はいつもと違った表情を見せます。 それは悲しみを通り過ぎた後の小さな落ち着きのように、 いたわるような優しさを見せてくれるからでしょうか。 なにげない陽の光が、こんなにも愛おしく思える、 それは、何の変哲もなく繰り返す日常が、 初めて出会った光のように貴重に感じられるからでしょうか。 雨あがりの陽光。 生きているうちに、何回も何回も出会う光景。 悲しみの後の平穏。 生きているうちに、何度も何度も出会う想い。 <第0601号 2012年2月19日(日)> ハルヨコイ おじいとおばあの お面をつけて 路地に隠れる 木枯らしの子 霜柱の地中御殿 落し物は銀の針 光の石蹴りミラーの輪 鬼になったりなられたり 息は凍った綿帽子 蕾はガラスの瓶の栓 池はレンズの飾り窓 けれどどこかで声がする ざわざわしんとざわざわしんと ハルヨコイヨトハルヨコイ * 挿一輪 * だれが一番に春をみつけるのだろう、 まだまだ凍える二月のさなかに、 あたたかさが恋しくなって、 しもやけの指をさすりながら思います。 冬が来ないと春が来ない、と理屈ではわかっていても、 冬の厳しさがあるから、春の芽吹きがあると聞いても、 やはり、気持ちは、春よ来い。 でも、寒さのなか、ふと感じることがあります。 小さな陽だまりに、光のきらめきに、しんとした午後のひとときに、 どこかでじっとこちらをうかがう、次の季節の小さな息づかいを。 驚かさないようにそっと呼んでみませんか、 ハルヨコイ、って。 <第0600号 2012年2月12日(日)> まっすぐに まっすぐにふる雨を 強く 迷いもなく まっすぐにふる雨を しおりにして やむことのない 銀針のしおりにして 今朝のこころに とどめおき わたしという ひかるいのちでみがき あとからあとから つきることのない 真紅のみちしるべに変えて * 挿一輪 * 朝起きたら音を立てるくらい強い雨でした。 窓ガラスの曇りを手でぬぐい、その後少し窓を開けました。 雨はまっすぐに降っています。 次から次へと絶え間なく空から地表へと刺さってゆきます。 風が強いと斜めになりますが、それでもまっすぐに降りてきます。 まっすぐなことはとても強いことです。 雨や物に限らず、まっすぐな視線や気持ちもはっとさせられます。 その新鮮な驚きは、日ごろ無意識にまっすぐなものを、 どこかで避けているところがあるからなのかもしれません。 まっすぐなことはそれゆえにあつれきを生み、傷つけやすくなります。 まっすぐなものを探すことが面映くなり、 見てみぬふりをして通り過ぎようとすることもあります。 でも、まっすぐなことはとても大切なことです。 新しい朝のすがすがしさと同じ自浄作用があります。 まっすぐなことをいつも忘れないように、 どのような形でも持ち続けられたら生きる糧になると思います。 道に迷ったときのゆるぎないみちしるべとして。 <第0599号 2012年2月5日(日)> 節分 オニハソト 豆をまく 凍りついたかなしみを 少しでもくだくように 少しでも押しやるように フクハウチ 豆をまく やわらいだかなしみを 少しでもほぐすように 少しでもいたわるように オニは傷だらけの面を クルリと裏返し ツヤツヤの福に変えて 目にいっぱいの涙を 気づかれずにそっとこぼす 春のハンカチ落としのように * 挿一輪 * 2月にはいると節分・立春と春を呼び込む日が続きます。 節分は子どものころから豆まきに親しんできました。 友達と一緒のときは大声を競っているのに、 「オニは外」「フクは内」と叫ぶのが、ひとりだと妙に恥ずかしくて オニもフクも耳をそばだてて聞かないとわからないくらいの小さな声に。 それにしても、 やたらに豆をぶつけられるオニはかわいそうな気がします。 きっと、童話の「泣いた赤鬼」が好きだったからかもしれません。 一見、強面のオニにも、 ほんとうはだれにも言えないかなしみがあります。 どんなに、やさしいこころがあっても、だれも近づこうとさえしません。 見える一面だけではわからない、見えない別のなにかを、 自分の目で確かめ、感じてみることが大切だと教えられました。 そのためには、立ち止まって静かに相対する時間を、 ほんの少しずつでも持ちたいものですね。 オニがそっと落とした涙を、てのひらにすくいあげて、 かなしみがなにかを想うとき、 初めて、節分・立春をかみしめて、春を呼べるのかもしれませんね。 |
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