<第0689号 2013年10月27日(日)> ころんだら ころんだら たちあがるときに 「いちについて」 の姿勢をしよう 風の子どもが二人来て 絹雲のゴールテープを 用意してくれるから さあ もうつまずくものはない 真っ青な空の道へ 「よーいどん」 * 挿一輪 * ちょっとしたところでつまずいて、 ころんでしまうことありませんか。 小さな段差、小石、凸凹。 痛いけれど、恥ずかしさのほうが大きくて。 それなら運動会の徒競走にしてしまったら。 ここからスタートで、 「よーいどん」 アクシデントを遊びに変えてしまいましょう。 からだだけでなく、 こころの道はもっと障害物だらけ。 こちらは毎日のようにころんでは泣きべそだらけ。 そんなときもおなじように、 「よーいどん」 思いっきり顔をあげて、 これから走る青空を見つめると、 風のように走れます、はい。 <第0688号 2013年10月20日(日)> 時間 同じ速さで流れていたら きっと 飽きられてしまう 時間は 変なところに 気を使う もっとゆっくりして欲しいのに 疾風のように 飛ばしてしまうし 早く過ぎて欲しいのに 立ち止まって 寝たふりの意地悪 やっとつかまえて 文句を言えば 「一秒も狂いはありません」 まるで駄々っ子のように こちらの表情を伺いながら そうだね 知らんふりをするのに限る どこかへ消えてしまうわけではない 寄り添うように いつまでもいるのだから * 挿一輪 * だれにも均等に流れる24時間。 時々「ほんとうだろうか」と思います。 あっという間に過ぎてしまう楽しい時間。 いつまでも終わらない辛い時間。 タイムリミットのあるさいなむような時間。 ボーっとしている所在無げな時間。 とても同じ長さには思えません。 でも、 たしかにだれにも均等に流れる24時間。 短くも長くもしているのは、 きっと自分自身なのでしょうね。 時間のせいにすることなく、 しっかりと自分のために時間を友達にしたいものです。 <第0687号 2013年10月13日(日)> 雲ふたつ まっしろな雲 ふたつ 見つめあって ゆっくりと 流れてゆく まっしろな雲 ふたつ 風のてのひらで ほほとほほを寄せ 流れてゆく まっしろな雲 ふたつ いつのまにか ひとつに溶けて 流れてゆく * 挿一輪 * 秋の空をじっと眺めています。 風に乗り雲が形を変えながら流れてゆきます。 晴れた秋の日に、 ほんの少しでも時間があったなら、 空を見上げてみてください。 雲たちの会話が聞けるかもしれません。 <第0686号 2013年10月6日(日)> かなしみ いまのうちに たくさん たくさん ためておこう てからあふれるくらい めからあふれるくらい むねからあふれるくら あふれたものは そらにかえそう あきのはれたまひるまに たかくたかく いまのうちに たくさん たくさん ためておこう たまったものは とうめいになるまで ならんですわりつづけよう かなしみはさいごに いっしょに つちにかえるから あきのみじかいゆうぐれに おともなく * 挿一輪 * 一度入りこんでしまったかなしみはなかなか抜けません。 時間が解決してくれる場合もありますが、 多くはこころやからだの片隅にじっと眠ったままです。 忘れたつもりでも、 なにかがきっかけでまたよみがえってきます。 捨てることもかなわず、 生きているあいだはそんなかなしみがたまってきます。 無理になくそうとせずに、 そっと抱きしめたまま毎日を送ります。 まるで自分のこころやからだの一部のように接します。 すると、不思議なことにたまったかなしみが、 自分に多くのことを教えてくれるようになります。 排斥するのではなく共存することでしょうか。 どうしてもなくならないかなしみは、 ならんで座って目の前の景色をみてください。 しずかに対話が始まるに違いありませんから。 |
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